散歩

2018/05/07

連休ぶらぶら  吉祥寺・西荻窪・荻窪・高円寺

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自転車に乗って吉祥寺方面へぶらぶら。

なにはなくても古書展巡り。 

タイミングが悪いのかなかなか開店時に巡り会わなかったJRの線路と井の頭通りの間の道沿いにあるBASARAブックス(右写真)。 

東急百貨店横の100年(左写真)。

それに写真はないが定番よみたや。 

個性的な本屋が揃う。

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駅の西側中道商店街は色々なジャンルのちっちゃい店が沢山あって楽しい。ちょっとオシャレな毛糸屋やら、アンティークやら、小物・雑貨など。
その中にPAPER MESSAGE という紙もの雑貨を扱う店がある。
店内撮影自由の珍しい店。 ただし、紙雑貨中心で紙そのものがメインではなさそう。


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線路沿いに西荻窪へ。
荻窪方面へ向かう道沿いに「トナリノ」という輸入・国産雑貨セレクトショップがあったので立ち寄る。

黒い紙にも書けるというメタリック鉛筆があったので試しに購入。
家に帰って試してみると結構視認性が高く使えそう。

黒い紙の本文紙でノートを作ろう。


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荻窪ではささま書店に寄ろうと思って南口のカルディがある小路を抜けようとしたら、新しく古書店ができていた。

値札をみるとささま書店のタグがついている。
店員さんに聞くと期間限定でささま書店と中野の古本案内所が合同出店しているとのこと。

ちなみに古本案内所の店主はかつてささま書店で働いていた人。

ここではボッシュの画集と大貫伸樹「装丁探索」を購入。
装丁探索は「古典籍の装幀と造本」のデザイン製本シリーズでも扱われているが、文庫本サイズと判型が小さいためB6サイズ版を探していたところ。

ボッシュはアップ写真が多く状態◎。


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その後高円寺まで足を伸ばしてお馴染み西部古書会館にて物色。ドガのデッサン集、古いディズニー漫画、吉備の出土品を扱った「古代のかたち」を購入。

ドガのデッサンというとバレリーナそして早描きと言う印象があるが、左図のようなデッサンも描いていたんだなあと。 とてもうまいわけだが、今様のデッサンから比べると若干古くさい感はある。

しかし、ドガと活動時期がかぶるゴッホやピカソが学んだというシャルル・バルグデッサンコースのデッサン指南の内容がちょうどこうした感じのスタイルなので、当時流行の方法論だったのかも知れない。 などとちょっと考えてみたり。

ちなみにシャルル・バルグのデッサンコースという本は英語版・日本語版が復刻されて現在でも手に入れることができる。

ピカソが11歳時に描いたと言われるデッサンネタ元があったりして面白い。

話はそれたがドガの1952年刊のデッサン集は初見のデッサンも多く色々な意味で楽しめた一冊。

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2018/04/10

自転車に乗って

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紙や箱などを買いに新宿へ。

快晴、暑くもなく寒くもない気候なので、自転車でフラフラと。

妙正寺川沿いを走り、新井薬師近辺から中野方面へ向かう途中には輸入文具店「旅屋」がある。 旅をテーマにした品揃えで文具だけではなく、海外のチケットや切手や、旅に持って行きたくなるようなグッズが集められている。
ここでは紙挟みとトルコ製ゲルイングペン、スティックのりを購入。

青梅街道へ出て、西新宿近辺には「8Ball」。 店は大きくないがシンプルでスマートな文具が置いてある。 太めのシャープペンシルが50%オフのセールをしていたのでランマーカー付きシャー芯リフィルを購入。 

輸入文具店に寄ったのはコヒノールの5.6ミリの芯が欲しかったからなのだが、どちらもコヒノールの扱いはなし。残念。


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新宿ではセリアで木箱を、世界堂で鉛筆と紙、三角形のスティックのりを買って帰宅。

往復で20キロもないので、ゆらゆらと日がまだ高いうちに帰宅。


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2018/03/02

芸術の初春

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3月1日。

朝まだ雨が残り、このぶんなら多少人の出足も鈍るのでは…との思惑で上野に出かける。

「仁和寺と御室派のみほとけ展」

葛井寺の千手観音像に圧倒された。

脱活乾漆でつくられた坐像に千を越える木造の手を持つ天平時代の傑作。

本当に千の手を表現してしまった観音菩薩像という点が一般的にクローズアップされるところだろう。 

確かに光背を思わせる同心円状に表現される手の迫力は通常42本の手であらわす省略形の千手観音像に比べ愚直なまでのリアリティがある。 

が、やはりこの像のすばらしさはそのお顔にこそある。 実物を見るのはこれが初めてで、これまで写真でみたかぎり何となく陰鬱な雰囲気があるように思っていた。

しかし、実物はなんとやさしく穏やかなお顔をしていることか。 実際の人間を精神的に高度に昇華させ,具現化するとこうした姿になるのだろう。 これぞ天平彫刻の神髄といえる。

この後、平安になると仏像はだんだんと人間離れしたお顔になっていくのだが、確かに超人的な雰囲気はあるものの私にとってグッと心が引き込まれるような姿ではなくなっていく。

この一点を観るだけでもこの展覧会の価値はある。 出来ればもう一度観たいものだが、11日までだし、ちょっと無理かなあ?


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この展覧会の目玉の一つ「仁和寺観音堂の再現展示」。
ここのみ写真撮影可能。 コンパクトカメラしか持っていなかったので画像が粗くて残念。

仁和寺観音堂の解体修理のため実現した企画だ。
千手観音像を中心に不動明王、降三世明王、風神・雷神、仁王そして二八部衆が周りを守る姿はかなりの迫力だ。


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これらは江戸期の作で、恐らく同じ京都の蓮華王院・三十三間堂のコピーではないかと思われるが、少々稚拙な表現ではある。  三十三間堂の仁王の筋肉は盛り上がっているが、こちらの仁王は筋肉をつけたという感じか。 

ただ、これは信仰の対象なので、像の出来不出来が問題ではないのは当たり前の話。あくまでも彫刻として観た上での個人的な戯言ではある。

このほか仁和寺の像高約12センチの白檀製薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、福井・中山寺馬頭観音坐像など素晴らしい仏像が盛りだくさん。

古文書や仏画、仏具などとにかく作品点数が多い。 ゆっくり観ていたら3時間ほどかかってしまった。  


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昼をはさんで都美館でブリューゲル展を観る。

それにしても、16世紀頃の絵画は名のある親方を中心とした絵画工房で絵が量産されていて、ここ1〜2年で日本に来たブリューゲルにしてもボッシュにしてもクラナーハにしてもアルチンボルトにしても本人の真筆というものがどれほどなのかちょっと疑問になる。 

カラー印刷技術がない頃の話だから、むかしの人は「ちょっと絵でも飾ろうか」と言ったときに流行の絵を工房に頼んで描いてもらうという感じだっんじゃないかな?

金払いのよい乗客には親方自らその実力を存分に発揮して作品を制作しただろうが、そこそこの客にはそれなりにひな形を元にしたコピーを描かせてたのだろう。 

そうしたコピーもどきも親方のビッグネームで扱われてしまうから残念展覧会になってしまう。 格安チケットの価格も暴落気味。

やっぱりね、この頃の作家の作品は画集に載っているクラスの作品が何点来ているかで行く行かないを決めるのが正しいのだと心に誓ったのであった。


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同じ都美館で女子美の卒展をやっていたのでひとまわり。

女子美の高校、短大、大学の合同展。 

高校生の作品がよかった。 作品にじっくりと取り組んでいる作品が多いという印象。

ものを作ることの難しさは、「自分らしさをいかにして出すか」ということにつきる。

しかし、ともすると「他人がやらないことをやる=自分らしさ」になってしまいがち。それが講じて変わったことすることが<自分らしさ>ではないかと思っている作品が大学生の作品には多かったように思える。

その点、高校生の作品には じっくりと時間をかけて続けてきたこと、じっくり熟成させた考えと言った「他人にどう思われるかではなく」自分が何をしてきたかを素直に出しているものが多かったようだ。

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春一番がふく暖かな一日にあわてんぼうの桜がチラホラ花を咲かせていた。


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2018/01/05

博物館に初もうで

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ほぼ毎年恒例の正月トーハク探訪。
神社仏閣での初もうでに加え、なくてはならない行事になっている。

門や玄関、本館内2回への踊り場に飾られたダイナミックな生け花がお出迎え。


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例年、正月の国宝展示として等伯の「松林図屏風」が飾られるのだが、今年は京都国立博物館蔵「釈迦金棺出現図」が出品。

これは釈迦が亡くなり棺に収まった後、その死を知って駆けつけた母のため神通力によって棺を開き起き上がって説法した場面をあらわした図。

図版では知っていたが実物を見るのははじめてで、思っていたよりも大きく、随所に剥落が目立つものの描かれる人物や動物が丁寧にそして色鮮やかに表現されている。 

特に釈迦の母(釈迦の斜め45度右下)に対する慈愛に満ちた表情と喜びというより恍惚とした表情で釈迦を見つめる母の対比が印象的。


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トーハクの正月特集では干支にちなんだ作品が多く出品されるが、個人的には犬(戌)の水滴群がおもしろい。

硯に水をさす水滴なので小品だが表情や姿が何とも愛らしい。


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陶器、素焼き、木彫りの犬たち。
右上、埴輪の犬の口からよだれが垂れているのはわざとなのか? やけにリアル。

左下の何か言いたげな犬は2−3世紀後漢時代の作と言うから1800ー900年前の作品。 こんな犬がいる状況がふっと目に浮かぶ。


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他に応挙の板絵があったり、


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戌以外にもおもしろい形や表現がたくさん。


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一応今回の目玉の一つ「古今和歌集(元永本)下帖(上図)。
鳥獣戯画断簡(下図)なども出品。

とにかくここでは紹介できないほどの作品が目白押し。

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他の企画展がまだ始まっていないせいか、いつもに比べ人出は多いが、待たねば観られないような状況ではなく、静かな雰囲気の中ゆったり観覧できた。 外国からの観光客が多かったが音声ガイドを聞いていたのだろうかイヤホンを耳に解説をじっくり読みながら静かに作品鑑賞をしていた。


また、親子連れというか父子、母子ペアが多かった。小さいころからこういうところに連れてきてもらうのはとても幸せだ。

最近の企画展はやたら人が集まってすし詰め状態で観覧ということが多く、あまりの混みように「並ばずに帰る」ことも多々ある。
文化に興味を持つことは悪くないが、ギュウギュウと押し出されながら作品を眺めるのでは作品を楽しむ間もない。

美術の楽しさを知ったら是非常設展に通うことをオススメしたい。実はトーハクには国宝89件(建築物を除く全国宝数の10%以上)、重要文化財640件をはじめ素晴らしい作品が数多く収蔵されている。

ほとんどの作品は並ばずに観ることができるし、博物館蔵の作品は写真撮影可能。 作品の入れ替えも行われているので、行くたびに様々な発見がある。 特にこの「博物館に初もうで」はトーハクに親しむいい企画だと思う。

「博物館に初もうで」 東京国立博物館 1月2日ー28日

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2017/11/22

芸術の秋…

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大変混んでいると噂の運慶展。
そろそろすくかと様子を見ていたが残り一週間になっても観客が減る気配がないので重い腰を上げて出かけてみる。


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10時半頃の到着で30分待ち。
普段ならこれだけ人が並んでいたら、常設展を観て帰るパターンだが、前売りを持っていたので致し方ない…、運慶だし。


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仏像彫刻は白鳳、天平につきる。
写実とその奥に秘めた精神性は仏像彫刻の頂点といえる。

個人的好みでいうとそれ以外はあまり興味ないのだが、慶派は多少引かれるところがある。

運慶というかお父さんの康慶から始まる慶派は鎌倉時代を代表する一派で、奈良を拠点とする古き良き時代の天平彫刻の中で育った仏師集団。
東大寺や興福寺が南都焼き討ちで失った多くの天平彫刻をそのスピリットを活かした仏像の復興に尽力した。

貴族趣味的な仏像が主流となった平安時代から武家の社会へ変わる鎌倉時代に天平の写実主義を復活させ、数々の素晴らしい作品を残している。

鎌倉以降(運慶やその実子、湛慶・康弁・康勝など以降)はこれと言って観るべき作品が少ないのは仏教と政治、仏教と人の関係がだんだんと形式化していったからだろう。

そういう意味で飛鳥時代日本に入ってきた仏教によって国を治めようと考えた鎮護国家思想が形として現れた天平彫刻を復活させた慶派の果たした役割は大きい。

今回の展示では、円城寺の「大日如来」、康慶の瑞林寺「地蔵菩薩」、興福寺「無著菩薩」などはグッと引き込まれる迫力がある。 仏像ではないが康慶の頂相(開祖・高僧の像)康慶作「法相六祖坐像」や運慶作「重源上人坐像」は傑作揃い。

特に「重源上人坐像」は秘仏で、東大寺でさえ年に二日しか観ることが出来ない作品。 しかも360度ぐるりと観ることができる。 そのリアリティーは天平時代の作で肖像彫刻の傑作と名高い唐招提寺の鑑真和上に劣らないのではないか。 今回は重源上人がじっくり見られたことが一番の収穫。

また、おもしろかったのは「八大童子立像」。
小さい作品だが表情・動きが自然で今にも動きだしそうな雰囲気。
ライティングの関係だろう、玉眼が本物の目のようにつややかに光り、ともすると生きているのではないかと一瞬錯覚をおこしそうだ。

あとは、康弁作「天燈鬼・竜燈鬼」。あのウイットに富んだキャラクターの表現はいつもながら見てもニヤッとしてしまう。

と言うわけで、大変混んでいたものの3時間ほどかけてじっくりとたっぷりと楽しむことが出来た。 


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常設展もひとまわり。
仏像コーナーには京都・大将軍八神社の「男神坐像」が。
神像の出品は珍しい。 一木造というから、恐らく雷に打たれて折れた太い神木を使ったりして作ったものと推察するが、たたずまいや表情など、心に残る神像だ。


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ハートの埴輪。 本当にハート。今も昔も変わらない。

右の刀は「石田正宗」といわれる刀で、石田三成所有の刀だったらしい。
珍しいのはみねの部分に受け傷があること。 

刀と刀の斬り合いでは当然刃こぼれや受け傷が出来るに違いないが、なかなかそうした実戦を感じる作は観ることがない。

そういう意味ではちょっと珍しい刀だ。


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これまた前売りを持っていたので、1時間待ちで怖い絵展も観る。
運慶展は高齢の方が多かったのに比してこちらは若者がほとんど。

私は中野京子氏の「怖い絵」を数冊読んでいたので、あまり展示作品が何かも特に気にせず前売りを手に入れたのだが、正直ここまで混むとは思わなかった(個人の感想)。

それほどキャッチーな絵がある様にも思われないしね(個人の感想)。

どうせならボッシュとかブリューゲルとかルドンとかゴヤとかベックリンとか観たかったんだけど(個人の感想)。

ただ、絵の背景(その絵の由来)を理解しながら絵画を観るという「絵画の鑑賞法」を学ぶ展覧会と考えれば意味はあるだろう。

特に宗教画などは(これは仏像も同じ話だが)絵の善し悪し以前に聖書なら聖書のどういった場面が描かれているかを知っているか知らないかによって見えてくるものが違ってくるから。 革命や事件・事故を題材にした絵画も同様。 

そういえば本の「怖い絵」はそういう本ですものね。

怖い絵の中で紹介された見たい絵がなかったからといって文句を言ってはいけませんね…。




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2017/10/31

第58回 東京名物・神田古本まつり

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今年もこの季節がやってきた。
価格的には普段行っている高円寺の西部古書会館の売り出しの方が安い場合が多い。

しかし、圧倒的な本の量と古書の町神保町の雰囲気にひたることが出来るこの古書展は毎年楽しみにしているイベントだ。

先週の金曜日からの開催だが、残念ながら雨模様だったため、週初めではあるものの多少の混雑を覚悟して。しかし時間も早めだったためか人出もさほど多くなくゆっくりと歩道に並んだワゴンを観ることが出来た。

どこの古書展でも年をとった男性が多いのだが、今日はわりと若い女性やカップルが多くいた。 そういえばくる時に乗っていた電車でも本を読む若い人が多いようにおもえた。 すこしスマホから読書に戻ってきているのかな?

また、休校日だったのか中学生くらいの女の子がお母さんと一緒に本を探す姿に何度か出くわした。 こどもと一緒にこうした古書展巡りというのはほほえましい。


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帰りは神保町方面からお茶の水方面へジグザグに登っていくと、いつもは遠くに見えるニコライ堂の入口あたりに出た。
なかなか趣のある建物。中には入れるのかな?
今度調べて入れるものならば是非見学してみたい。

上野にまわって運慶展を観るか観まいか迷ったが、雨の週末開けで混んでいそうな気がしたので、このまま帰宅。

第58回 東京名物・神田古本まつり

[日 時]  10月27日(金)~11月5日(日) 10:00~19:00(最終日~18:00 雨天中止)


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2017/05/17

下町へ 谷中→上野 森鴎外美術館や東京都美術館

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下町方面へでかける。
第一の目的は森鴎外美術館。
<鴎外の「庭」に咲く草花>展。
団子坂上にあった住居「観潮楼」に咲く季節の草花を記録した鴎外の日記をもとに植物学者牧野富太郎のスケッチで振り返るという趣向の展示。


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小さい頃、牧野富太郎植物記に描いてある植物の絵がすきで(文章はほとんど読まずに!!)よくページをめくっていた。
植物学者の描く絵だから当たり前だが茎からでる葉の付き方やらしべの表現や葉脈のとらえ方など子供ながらにいつも感心して見ていたのを思い出す。

で、富太郎の原画が見られる!!と喜び勇んで出かけたわけだが、何と展示時期の境目でほとんどが複製画。

ホームページにある展示品目録のPDFを確認すれば良かったのだが、複製しかない時期がある旨をもう少しわかりやすく告知して欲しかったなぁ。

が複製とはいえ、図鑑とは違い下絵や線の抑揚が見られたし、なにより鴎外の超人的な才能は十分垣間見ることができたのでよしとするか。

特に、鴎外が受講していた大学の植物学のノートは必見。字もうまけりゃ絵もうまい。 


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途中、お弁当を買って公園で食した後、歩いて上野方面へ。

東京藝大の前を通るとバベル展の立て看板がある。
「あれ?都美館じゃなかったっけ」。
「入場無料?」 とにかく行ってみる。

するとバベルの塔展の連動展示でバベルの塔の立体が飾られていた。

表半分は実際に立体模型として作られており、裏は部屋を暗くしてプロジェクターマッピングでバベルの塔が映され昼夜や働く人などを動かしていた。

今回の展覧会では複製画を含め色々なところで東京藝大がかかわっていたようで、小さな絵一枚を多角的に表現して楽しませることを積極的に行っていたのが印象的。


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模型、良く出来ています。 東京都美術館からは少し離れていますが、バベルの塔展を観に行かれる方は観に行くことをオススメします。


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さて、バベルの塔展。
ブリューゲル(父)の表題作品一枚でも鑑賞券分の価値は十分あるし、それにヒエロニムス・ボッシュの油絵2点が加わっているのだから十二分と言えば十二分。

だからこそこれらの作品前は大変な人だかりで絵の近くに行こうとすると大変な労力を必要とする展示会になっている。

一方他の作品はさほど並ばなくともそれほど無理なく鑑賞できる。その理由は、ほとんどが宗教画だからではないだろうか?

絵の善し悪しは別にしてこの宗教画というのはちょっとくせ者で、聖書の世界を知っているか知らないかで楽しみ方が大きく変わってくる。 

するともう少しお目当ての絵にだけ人が群がる現象も少しは抑えられるのではないか。

いわば宗教画というのは原作があってそれが映画化されたものと考えると分かりやすい。

ロードショーをいきなり観るのもいいが、前もって原作を読んでから映画を観ると、原作のディティール…あの場面はどう表現されているかな?という見方が出来ると楽しさが倍増するわけだ。

たとえば 32「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」。画面右下方向で天使に導かれて逃げるロトと娘の後ろで何やら固まりのようなものが描かれているがこれは「絶対に後ろを振り返っちゃ行けないよ」と言われたのに振り返ったお母さんが塩の柱にされてしまっている様子で、このテーマではお約束になっている要素。

ソドムとゴモラと言ったら天使、ロト、娘たち、塩の柱になったお母さん、遠くで燃えている街というのがどう描かれているかな?と探すのが聖書の絵画の一歩踏み込んだ楽しみ方。

で、33「ロトと娘たち」という絵が連番で飾られているのだが、これは街が滅亡し逃げたロトと娘たちが住むところに娘の婿になってくれる人が居らず、それを悲観した娘たちがお父さんであるロトを酔わせて…」というやや妖しい話の場面。

需要と供給の問題でもあるが、禁欲的な宗教画の世界でいかに裸体を描けるテーマを見つけるかというのも画家の性。

知っていると「ロトと娘たち」の見え方もちょっと違ってくる。

とはいえ、聖書を全部通読して理解などは無理。
宗教を簡単にまとまっている本や宗教画の読み解き本などを何冊か読むだけでも良いと思う。(実際私自身がそんな感じ)

ちなみに以前改装本で紹介した「阿刀田高の宗教3部作」「旧約聖書を知っていますか」「新約聖書を知っていますか」「イスラム教を知っていますか」は楽しく読めるめるし、面白い場面はかなりピックアップされているので私のような宗教音痴には取っつきやすい。



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話は前後するが、藝大のバベルの塔展会場の脇に法隆寺金堂 釈迦三尊像のレプリカが飾ってある!!
カメラに撮影、3Dプリンターで再現した原型からブロンズで鋳造と現在考えられる最高の方法で再現されたもの。
金堂ではかなり暗くディティールが見えづらい環境の釈迦三尊が目の前にある感動。

側面を目で見るチャンスはほぼないので写真でパチリ。

この頃の仏像づくりは正面観照性といって、正面から見られることのみを目的として作られているのでレリーフとまで言わないが奥行きはほぼ無視されていると言う特長がある。 それを直に確認出来るチャンス。

ただ、釈迦如来の両側にいる脇侍、右が金色表現になっているが、実際は左側の脇侍が金色になっている。

うろ覚えだが、土門拳が多分あれは磨いているうちに光りすぎてしまって途中でやめたものに違いない、と言うようなことを書いていたような気がする。

わざと逆にしているのだとは思うが、なぜだろう?

 

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2017/04/05

花ざかり 上野にて    2017/0404

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上野の動物園に出かけた。 
桜も満開。とても綺麗だが、周りを見回すと濁りのない植物の色がたくさん。 これから様々な活動が始まる予感が目に飛び込んでくる。


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東京藝大の食堂で腹ごしらえをして、藝大脇から動物園へ向かう。 途中、柵ごしにみえる園内は大変な人混み。正面ゲートでは券売機に長蛇の列。 
天気もいいし、まだ学校も春休みのところもあるからあたりまえか…。
簡単にあきらめてトーハクへ目的地変更。


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本館周りには結構人がおおいようだったので、まずは法隆寺宝物館へ。
いつもよりは人が入っているが気が散るほどではない。
いつ見ても一回の金銅仏群の迫力…と言って良いのか存在感には圧倒されてしまう。
この部屋に入ると1300年以上前の世界とつながっているのではないかと思えてくる。 

久しぶりに伎楽面の部屋が開かれていた。
これもまた大迫力だ。 
最近老眼で現場の暗い部屋では色が見えにくくどれも色彩がはげて茶色に見えたのだが、高感度で撮った写真には色がかなりはっきり残っているのが分かる。

写真のくちばしのついた伎楽面は迦楼羅(かるら)だが、緑青だろうか冴えた緑色がはっきりと残っている。今度観る機会があったらもう少しよく見てみよう。


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本館の仏像は昨年から少し入れ替わっていた。
上二つは平安時代の不動明王(左)帝釈天(右)。
鎌倉になると仏像は寄せ木で作られるようになるが平安以前の木造仏は一本の木から彫りだす一木造りがおおい。 平安仏は量感があり独特の存在感を放っている。 

下は善光寺式釈迦三尊像(左)と毘沙門天(たぶん)に踏みつけられる邪鬼(右)。

ともに鎌倉期の作。
仏像も鎌倉時代になると表情のつきかたが極端になる。超人的というか威圧的というか、極端にキャラクターが記号化され、個人的には親しみが感じられない作がおおい。 が、三尊像の方はもともと中国南北朝時代ごろ作られたと言われる善光寺の本尊の模作なので、いわゆる大袈裟な技巧に走った鎌倉期の雰囲気はないく好ましい。 また、いわゆる四天王に踏みつけられる邪鬼というのはお約束の存在だが、異形の存在の表現として与えられた表情は逆に記号化された鎌倉期の表現がよく似合うように思う。

ほかにも色々観たかったのだが、所用があって本日はここまで。


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帰りは不忍口まで歩く。
花見客が世界各国から集まってごった返していた。
あまりに混雑していたのですっと横にそれて帰宅。

 

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2017/01/29

連綿ということ

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招待券が手に入ったので上野毛の五島美術館へゆく。


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歳をとって自分自身が枯れてきたこともあるのか、書や茶器といったものにも何となく興味がわいてきたものの、実際のところ全く何も分かっちゃいないので、細かなことには触れない。


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ただ、わかることはこれらの価値は歴史上の人物の手を経て様々な道のりをたどって今ここにあるということ。  

一番直接的にそれを感じるのは「消息(手紙)」。
豊臣秀吉がちゃちゃ宛てに書いた手紙が目の前にある。 
末尾に「ちゃゝへ  てんか」と書いてあるのをみるだけで、大河ドラマや小説で読む秀吉や有名な肖像画など「たぶんこうだったのだろう」という想像の世界の秀吉ではなく、リアルな秀吉を感じることができる。

茶器も同じだ。舶来品などは当地のごく庶民的な雑器に美を見いだした茶人たちの価値観が現在に伝わるもの。 一つの茶碗を前にしてたとえば利休がこの茶碗を見つめ茶をのみ大切にしていたものが連綿と受け継がれることによってその価値は築かれていく。 

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何百年も時として何千年続いてきたものが確かにある。そうした思いで目でみると知識はなくても自分なりの好みや趣味で楽しく鑑賞できるのである。


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帰りに二子玉川のデパートに寄る。
屋上から沈み行く太陽で輪郭を浮かびあげた富士山が見えた。
この景色も連綿と続く私たちの大切な価値だろう。


 

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2016/12/16

クラーナハ展  上野国立西洋美術館

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もともと西洋絵画にはそれほど興味はなかったうえ、年をとって白鳳・天平期の仏像に興味をもつようになり、ますます西洋美術からは遠ざかってしまった。

が、その名を聞くとどうしても観たくなってしまう作家がある。特に系統立ったわけではないのだが、たとえばピーテル・ブリューゲル、ウィリアム・ブレイク、フランシスコ・デ・ゴヤ、ヒエロニムス・ボスなど、若干妖しい雰囲気の漂う画家たち。

これらの画家の共通したところは心の闇が画面に現れていることだ。そして極端な技巧派ではないが決して極端に下手ではないというところ。若干のデッサンの狂いだとか空間のズレだとか立体感の歪みなどが作品を観たあとに強い余韻を残す。

そうした「観てみたい妖しい作家」の一人がクラナーハだ。

クラナーハを知ったのは随分前に読んだ澁澤達彦の「幻想の肖像」にあったユディット。 ユディットの話はこちらを読んでいただきたいが、要するにユディットという女性が敵将の陣地に単身乗り込み酔わせてその首を切るという旧約聖書外典にあるユディット記の話。

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ビジュアル的に劇的なためボッティチェッリやカラヴァッジオやクリムトも描く有名なテーマだ。

だが数あるユディットの絵の中でもクラナーハの絵に引かれるのはユディットの表情。

片手に首を切り落とすのに使った剣、片手に切り落とした敵将ホロフェルネスの首をその髪をからませつかんでいるといったいわばちょっとした極限状態でみせるまったく感情のみえない表情。

この表情が示唆するものは神への絶対的信頼なのか、それともクラナーハが考える女性の本質なのか? 観るほどに絵に吸い込まれるていく。

このユディット、来日前に大幅な修復がなされたようで、古色が消え製作当時の色彩が蘇った状態なっている。 肌の色彩の素晴らしいこと素晴らしいこと。 3度ほど戻って観返してしまった。


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もちろん、作品はユディットの他有名なマルティン・ルターの肖像などかなりの点数が展示されている。 しっかり見ると2時間以上はかかる大変充実した展覧会だった。

今回展覧会を観るに当たって久しぶりに澁澤達彦の「幻想の肖像」を読んでみたが、数十年前感じたと同じくあと味の残る作家が紹介されていてとても面白かった。


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