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2018/11/26

Bruno Munari 展  世田谷美術館

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神奈川県立近代美術館葉山を皮切りに北九州市美術館、岩手県立美術館と巡回したブルーノムナーリ展が最終展示会場…世田谷美術館にやってきた。

6月に葉山でも観覧しているのだが、地元東京に来るとなればやはり観たくなってしまう。 そのくらい今回のムナーリの回顧展は内容が濃い。

今回、立て看板をみてあれ?何かがちがうなとおもったら、サブタイトルが「役に立たない機械をつくった男」となっている。
確か葉山では「こどもの心をもちつづけるということ」だったはず。

こどもの心を持ち続けるからこそ役に立たない機械を思いつくということも言えるだろうが、少々苦しい。 どのような事情があったのか気になるところであるが、個人的には一般的には役に立たない=意味のないととらえられかねないので、やはり「こどもの心をもちつづけるということ」のほうがよかったのでは?と感じた。

他からの干渉や束縛、影響を受けることなく考えたことを言葉にしたり形にすることというのは<こども>特権と言える。 

大人になるとそれこそ大人の事情やしがらみでこうした自由な発想に自ら鍵をかけ、全体を見渡した無難な行動をとるようになってしまう。

そうじゃないんだ。だからこそ些細なことでも自らの心に引っかかる感覚を常に大切にすることが大切なんだ…ムナーリの作品はそう私たちに問いかけているように思う。

その結果が「役に立たない機械」なわけで、そういう意味からもサブタイトル「こどもの心をもちつづけるということ」にはこだわって欲しかったなあ、と思った次第。


02


葉山に比べ少々ぎゅうぎゅうに詰め込まれた印象はあるが、二度目でも十二分に満足できる内容。

土地柄かこども連れのお客さんが多かった。 むしろ情報に毒された大人たちよりも単純に子供たちのほうが楽しめる展覧会なのかも知れない。

美しい風景画や肖像画といったわかりやすい作品は皆無だが、「こういうの面白くない?」って頭に浮かんだアイディアを形にして観る人を巻き込んでいく力は決して「役に立たないことだけを考えた男ではない」ことがわかるはず。 

休日でもさほど混む展覧会ではないので、是非会場内を行ったり来たりしながらこどもの心の鍵をはずした男の世界を堪能して欲しい。

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