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2018/10/31

京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ展+デュシャンと日本美術

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先週の木曜日、東京国立博物館へ快慶・定慶展+デュシャン展を観に行く。

どちらかと言うとデュシャン展のついでに快慶・定慶展という比重。


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快慶は慶派の仏師


個人的に唯一 白鳳・天平仏以外に興味のわく仏像がこの慶派の作品群だ。
康慶が慶派の名の元になった仏師で運慶がその実の子だ。
快慶は年は上だったそうだが、実の子である運慶が康慶のあとを継ぐことになる。

世に運慶快慶と並び称されることが多いが、実のところ運慶の名のほうが表に出る機会がおおい。 

これは展覧会の混み具合でも現れているようで、過日の運慶展に比べ今回の展覧会はとてもすいていた。 

実を言うと私も快慶の作はあまり好みではない。信仰の対象にこのような不遜はいかがか、という話はあるが、あくまでも好みで言うとそうなる。

それは何かと考えると運慶の仏像の大胆に比べ快慶の仏像はキッチリしすぎという点にあるのではないか。 仕上げもキッチリしているし、顔も端正。 

がそれが何となくつまらない。冒険がなさ過ぎるように思えるのだ。

慶派直系の運慶が一族の長として自信を持って色々なことに挑戦することが出来るのに対し、同じように豪放磊落に振る舞っては両雄並び立たずで慶派がうまくまとまらない、自分のやるべきはきちんとした仕事である、といったある種の職人に徹した姿が感じらた。

年長者でありかつ実力者であった快慶にとって慶派の看板はむしろやりにくかったのではないか?などと思ってみたり。


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そんな少々気乗りしない雰囲気で見て回ったのだが、半分は想像通りであったものの半分は快慶ただ者でなしという気分に。

大方の仏像は快慶らしい端正な仕上がりを堪能できるものだが、目を見張ったのは10大弟子像。 特に大迦葉と舎利弗立像。 10大弟子を前から後ろから見て回ると体の表現に違いが見られるので快慶作というよりは快慶一派の作というとだろうが、この二つの表情や身体表現には目を見張るものがある。 

快慶の肖像彫刻というと東大寺を再興した重源像が有名だが、それを彷彿とする出来。小さいが相対していると全く小ささを感じさせないスケールを越えた迫力があり、これだけでもこの展覧会に来た意味があった。

慶派で言うと他に康慶の法相六祖像をはじめ運慶の無著・世親像が有名だが、この鬼気迫る写実技術は慶派のお家芸なのだろう。

定慶については興福寺東金堂の維摩居士や金剛力士像を作った定慶ではなく肥後定慶(運慶の次男康運が改名したらしい)ということで全くの予備知識なし。 六観音は丁寧に作られているがやはり小さいため引き込まれるような迫力に欠けているようにおもわれた。 


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で、その足で本命デュシャン展を観ようと思ったら、このような張り紙が…。

遺作は以前見たこともあるので、観なくともいいと言えばよかったのだが、この「映像」というのがどういったたぐいのものか分からず、係員に効いても何のことやらの返答しかもらえなかったため、大事を取って後日改めてみにくることにした。

もっとも全く毛色の違う展覧会を時間を空けず見て回るのもしんどいので、これはこれでよかったのかもしれない。


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