2019/11/08

仙人に会いに行く  弾丸京都・奈良  その2 奈良

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思ったより京都での滞在時間が長くかかってしまったため、近鉄大和西大寺駅でレンタサイクルを借りて西大寺近辺の寺社から奈良駅方面へ向かう予定を変更し、新大宮駅でおりて法華寺経由で奈良方面へ散歩することにした。

駅前から始まって、要所要所に法華寺への案内看板があるのだが、看板を観るたびにそこにある残り距離が多くなったり変わらなかったり…、いつ着くのか心配になってしまう。 奈良の地図を持っていかなかったのも悪いのだが。

にスマホも持っていないので、完全に何となくあたまに入っているおおよその位置関係だけでの散歩だ。

奈良に行くときは地図はなくとも和辻哲郎の「古寺巡禮」は持って行く。

これをバスや電車での移動中読みながらこれから行く場所への期待をふくらませるのが楽しい。

和辻が巡った頃の古都の空気は景色を含め全く変わってしまったに違いないが、歩くことによって、ビルの間から見える若草山や佐保川の流れ、遠くに見える東大寺の大仏殿など当時の景色の片鱗を感じることができる。

いにしえびとも徒歩や牛車、馬などでこうして行き来した姿を想像しながら歩く。

 

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さて、法華寺。

何と言ってもここで観たかったのは維摩居士像。 
居士とは釈迦の在家の弟子意味だが、彼は在家にありながら大乗仏教の奥義に達したと言われる人物で、文殊菩薩との問答が有名。 

彼も一種の仙人といえるだろう。

法隆寺五重塔にある塑像に次いで古く、天平末期の作といわれる。
木造乾漆像と思われていた肖像像だが、木造であることがわかり、二年ほど前に国の重要文化財から国宝に格上げされた。

乾漆像には脱活乾漆像と木造乾漆像があり、脱活乾漆は粘土で大まかな形を作り、それに麻布に漆を塗りつけたもので整形し、細かい木くずに漆を混ぜた粘土のような木屎漆で仕上げる。 
漆が硬化たら中の粘土は取り除き変形がないように木の棒材などで内側に骨組みを作る。

木造乾漆像は粘土の代わりに大まかな形を木で整形、細かい造作をさきの小屎漆をつかって仕上げる。

天平には木造仏はほとんどないためその希少性により国宝に格上げされたのだろう。

つくられ方はともかく、前々からこの維摩居士坐像は観たいと思っていた肖像。

多分架空の人物なのだろうが、今にも語りかけんとする表情の写実性は天平期ならではのリアリティ。
目の前に「その人がいる」感は天平作品ならでは。  

本当に素晴らしい作品だ。

期せずして秋のご開帳時期だったようで、光明皇后を模したと伝えられる秘仏十一面観音も観ることができた。
平安期の作品なので、光明皇后を模したというのは伝説なのだろうが、像高一メートルほどの檀像風の細かい仕上げ。
思ったより線香の煙でいぶされているのか、写真で見るよりは色が濃い印象。

信仰の対象なので比べては申し訳ないが、天平仏を観たあとに平安仏をみると神々しさのスタイルのようなものが感じられ、像から迫ってくるリアリティはあまり感じられなかった。 

あくまでも個人的感想。

本堂を出る前にもう一度維摩居士像をしっかりと目に焼き付ける。

 

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寺域には有名な空風呂があったり、わらぶき屋根の家があったり、素敵な庭があったり。
どこも綺麗に掃き整えられすがすがしい気持で寺を出た。

佐保路を東進し奈良町方面へ向かう。

 

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まずは興福寺。

落慶した中金堂を見学。 

とても綺麗。できたばっかりだから。

 

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南円堂・北円堂の同時開扉があったので、観たかったが拝観時間のタイムアップ、残念。

 

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さすがに歩き疲れたので商店街に行き、はじめてナタマメに出あった刀祢穀物店で新しい豆を入手後、喫茶店で一休み。

そのご夕食を軽く食べる。  

時刻午後7時半。

バス発車まであと3時間ほど。

つづく。

 

 

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2019/11/07

仙人に会いに行く  弾丸京都・奈良  その1 京都

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先週、急に思い立って夜行バスに乗り京都へ出かけた。

たった一日の行動時間を最も長く、有効に利用できるのはやはり夜行バスに限る。
前日の午後11時45分に池袋を出発。 翌朝5時25分に京都駅八条口到着。

夜明け前でまだ薄暗い。

目的地への時間午前9時30分にはまだ早い。

 

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せっかくなので、南方向へとテクテク歩いて伏見稲荷大社へと向かう。
京都の町は我が町と違い縦と横の道が直交し大変わかりやすいため、迷うことなく目的地へつくことができた。

6時過ぎに到着。もちろん社務所や店などは開いてはいないが、ぽつりぽつりと観光客が参拝している。
有名な写真スポットでは特に外国の方が丹念に構図を決めながら写真を撮っていた。

良く分からないまま鳥居をくぐって進むと何やら登山の様相を呈してきて、すっかり朝からハードな準備運動となった。

30ー40分ほど稲荷山をめぐり下山したのち、鴨川沿いを北上し、七条大橋を目指す。

 

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8時過ぎ過ぎに今回の目的地京都国立博物館に到着。
9時半開館のためもくろみ通り一番乗り。しかし、20分ほどすると段々に人々が集まってきて、開館30分前にはかなりの列になっていた。

「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展。

京都で開かれているのは知っていたもののさすが遠いなあ…などと思っていたのだが、NHKの「歴史秘話ヒストリア」を観ているうちにやっぱり行かずにはおれなかったという次第。

佐竹本については細かい解説はこちらを読んで頂きたい。

簡単にいうと二巻の絵巻物として伝世した最古にして至高の三十六歌仙絵。

これが大正時代に売り出されたものの、あまりに高価であったため巻物として購入できるものがおらず、やむを得ず三十七に分割し、分売された経歴の歌仙絵だ。

各所博物館蔵になったものは単品で展示されることもあるが、当時購入した人から別の人へと渡り、個人蔵のものなどは所有者も明かされず、なかなか目にいれることができない作品もおおい。

今回の展示のように30点ちかい作品が一堂にに集まることはおそらくこの先数十年ないのではないか。

今までも何点かは単体で観たことがあるのだが、歌仙絵の線の美しさ表情表現の巧みさは他の歌仙絵の追従を許さない感動的な作品と記憶していた。

今回はそれを何と30点近く観ることができるわけだ。 

 

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鑑賞券を購入し、荷物をロッカーに預け、真っ先に佐竹本のコーナーへと向かう。

朝一効果でほとんど鑑賞者がいないなか単眼鏡片手に裸眼・単眼鏡で作品を一通り鑑賞していく。
息を呑む繊細さ、線に全く迷いが感じられない。 

表情、仕草ほぼ人物画なのだが、その向こうにある世界が目に浮かぶようだ。 3センチほどの顔に込められた情報量の豊富さは驚異的と言える。

デザイン的にも大胆で素晴らしい。
わかりやすいところで言えば上図にある小野小町。

「色見えで移ろふものは世の中の心の花にぞありける」

ざっくり意訳すると、「心変わりされてしまった悲しみ」を歌ったもののようだが、
悲しさを表情ではなく後ろ姿で描くあたりが心憎い。
美しい十二単と乱れた髪の対比が悲しさをうまく表しているよう。

これに限らず、人物の表情、配置などで歌を印象づける手腕は驚くべきものだ。

他にも歌仙図はいくつか展示してあったが、佐竹本の質は確かに他を全く凌駕した唯一無二の存在だった。

本当に観に来て良かった。

 

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もう一つ、今回は特別展示とのことで常設の作品は観られないと思っていたのだが、京都国立博物館に来たら是非観たいと思っていた仏像が展示してありビックリ。

「宝誌和尚立像」

宝誌和尚についてはここを読んで頂きたいが、この像は、宇治拾遺集の「宝誌和尚影の事」の物語中、帝が宝誌和尚の肖像を描いてこいと三人の画家に命じ、画家たちが宝誌のもとにでむいて彼の顔を描こうとしたら「わたしの本当の顔はここにある」といって爪を立て顔を引き裂くと中から金色の菩薩が現れた…。という場面を彫ったものだ。

ともするとグロテスクな表現ではあるが、表のお顔も中のお顔も実にすましてやさしげに見えるところが心憎い。
ふと有名な六波羅蜜寺の空也上人像の「南無阿弥陀仏」を表す仏が6体口から出てくる表現が頭に浮かんだ。
昔の人は何ともイメージ力の豊かなひとたちのあつまりだったようである。

 

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充実の二時間強。

京都国立博物館をあとにした。

 

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その後七条通りを西に進み、東本願寺を参拝。
寺域のの周囲には私の心を見透かしたような言葉が…。

「どんなにたくさんのものが手に入っても満足しない私」

一体どうしたら良いのでしょうか?

そんな私は

「自分に欠けているものを嘆くのではなく、自分の手元にあるもので大いに楽しむものこそ賢者である」
(古代ギリシア哲学者・エピクテトス)

こんな人になれるよう努力しようと思った次第。

12時半過ぎ、奈良へ向けて近鉄電車に飛び乗る。


つづく。

 

 

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2019/08/01

トーハクの夏

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本年度初の真夏日にトーハクへ行く。

目的は「奈良四寺のみほとけ」。 
企画展ではなく、通常展示として室生寺、長谷寺、岡寺、安部文殊院の4寺からの出展。
博物館入り口すぐ左の11室、仏像ルームでの展示。

ふだんから博物館所蔵の仏像だけでなく寺の委託品や出開帳など、意外なほどいい仏さんが展示されているのだが、
今回は特別。 国宝の室生寺の釈迦坐像、十一面観音立像をはじめ重要文化財が目白押し。

いつもはがらんとした部屋なのだが、さすがに結構な人出。
特に外国からの観光客が多い。 アジアからの客だろうか各仏の前で手を合わせているこどもの姿も見受けられた。

一番人気は色絵の板光背が美しい室生寺十一面観音。 平安期の仏像らしい威厳にと慈愛に満ちた素晴らしい一品。
だが、個人的には室生寺釈迦如来坐像に感動。 
写真家・土門拳をして「日本一の美男子のほとけ 」と言わしめた日本人離れしたお顔。そして特徴的な衣文表現「 翻波式」の切れ味の良さ。どれをとっても心が震える仏様だ。

寺に置かれた状態ではどうしても光の具合だとか置かれている位置などによりよく見えない部分もあったりするが、こうした展示では表から裏までかなりの至近距離で拝観することができる。もちろん現地で観る雰囲気も好きなのだが、ディティールはこうした展示に限るだろう。

これは本当に夏休みトーハクからのビッグプレゼントと言えよう。 九月二十三日まで。

 

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国宝室では餓鬼草紙が出品。
昔はこうした絵を夜、揺らめくロウソクの炎のもと悪いことをしたらこうなるよと説教されたのだろうか、本当に恐ろしいイメージだ。 全く何を参考にしたのか描いた人の想像力と画力には敬服するばかり。 

 

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こどもの頃、家にあった美術書にまさにこの図が掲載されており、何度も見ては恐怖を感じていたのをふと思い出した。

 

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19世紀の博物図鑑「博物館魚譜 」。
グロテスクなオコゼ系の描写が素晴らしい。 鱗や模様への執着が素晴らしい。

 

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アイヌの幾何的模様はいつ見ても美しい。

 

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能面あれこれ。 
置いてあるだけでもある種の霊性を感じるが、これを舞台で縁者がつけて動いていたら本当にいのちが宿るのではないかと錯覚するような雰囲気を持っている。

 

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楽家3代道入、4代一入の黒茶碗。 このあたりは素人には何とも善し悪しの区別がつけられない分野だが、実際に緑の抹茶が入った姿を想像するとなるほど見た目にも美しくさぞお茶が美味しく頂けそうではある。

他にも本当にたくさんの美術品・芸術品が目白押し。 
私はあまり興味がないので写真にはないが、どうやら刀剣にも珍しい国宝が出ているようで、最近流行の刀剣女子はじめマニア風の老若男女が目をこらして抜き身を眺めていた。

 

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上野不忍池では蓮が盛りを迎えていた。

青青として大きな蓮の間から覗くピンクの花。 泥の池からスーッと伸びてパッと開く薄ピンクの花。
こんな花の上に仏様が鎮座していると創造した昔の人の感覚は素晴らしいね。

 

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