2020/09/04

Lanternfish ハダカイワシ

 

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ハダカイワシ目ハダカイワシ科・ハダカイワシ。 

種にもよりますが、3センチから20センチほどの大きさで多くは10センチ以下と言われています。

鱗がはがれやすく、アミなどにかかっても鱗が残らず皮膚が露出した状態になってしまうためこのような名前がつきました。
一方英名 Lanternfish も名の通り、体側から体下面に点在する発光器により光る姿に由来します。

 

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深海に住む魚には暗い故発光器を持つものが多いのですが、この魚の場合体の下面に集中して発光器がいますが、これは下からこの魚を狙う捕食者が海面を背景に見た場合(海面が明るいため)この部分が光ることで目立ちにくくなるということが理由として挙げられています。

迷彩でいうところの「カウンターシェーディング」の一種らしいのですが、マグロやサンマなどのように背が暗く腹側が明るい魚
のように、もっと海面に近い泳層に生活する魚ならばともかく、時には深海1000メートルにも達する泳層では全く光が届かない場所で光を出すというのは逆にリスクになるのでは…などと思ってみたりします。

 

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それはともかく、この発光器が点々とついていたり、イワシ独特のちょっと間の抜けた顔がなかなかに可愛かったりします。

 

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本体の素材は黒檀。 台座は流木。 目は真鍮パイプ、発光器はアルミ棒の象眼。

 

 

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2020/08/24

Scalloped Ribbonfish ソデフリウオ

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最近は製本を少々お休みして木っ端で魚を作っています。
コロナ禍でステイホーム期間にコプト製本で使っていた木ぎれで糸ノコ盤のスキルを上げるために始めたのが結構面白い。
もともと魚が好きで図鑑も何冊かあるのでネタには困らないし、ネットで調べると面白い心躍る動画がいくらでも見つかる。

特に最近のお気に入りが深海生物。 極限の環境に適応したいわばそれぞれワンオフの形状をみせる彼らは魅力にあふれている。

木の場合塗装しないことを前提に制作すると、どうしても色みの限界があるわけですが、この辺は色々と試行錯誤しながら何らかの答えを見つけられればと思っています。

 

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すでにいくつかあるのですが、最近作「フリソデウオ」から。 
英語名 Scalloped Ribbonfish のScallopはホタテ貝のこと。どうやらホタテ貝の貝がらのなみなみの形状なのか、貝ひものなみなみなのかどちらかは不明なのだけれども、そうしたなみなみのヒレに起因した名称らしい。 なみなみのヒレを持つリボン状の魚というような感じか?

長く伸びたヒレがまるで振り袖のようという日本名のほうが見立てとしては綺麗かな?
深海魚は同じ名前でも写真によって随分形状が違うので、あまり細かいことは気にせずイメージ重視で作る方が愛らしいカタチになっていくようです。

本体はシナの木、目は真鍮、体の模様は黒檀の象眼。 ヒレは真鍮線で、ヒレの先は真鍮線を曲げてカタチを閉じ、閉じたカタチを半田で埋めて削りだしています。

台は西伊豆で採集した流木。

 

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マンボウに似た深海魚「赤マンボウ」の仲間で、お友達にはリュウグウノツカイなんてのもいます。

フリソデウオはあと二匹作りかけがスタンバイしています。

 

 

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2020/01/15

美術教育のこと

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以前アトリエに在席していたK君の作品が出品されているとのことで、練馬区立美術館に「練馬区中学校生徒作品展」を観に行った。

練馬区にある各中学校の美術、家庭科、技術科の優秀作品が並ぶ作品展なので、出来た作品はどれも作った生徒の熱が伝わってくる。 大人でもここまで出来るものではないだろうという作品も多く見受けられた。

しかし、今回に限らず全体を見回して感じるのは課題の「横並び感」だ。

絵画作品はともかく、教材屋さんが作るキットをつかった課題は学校を横断して同じような完成品が並ぶ。

もちろんキットではあるがそれを完成させるのは個々の子供たちなのだから善し悪しはあるだろう。しかし、キットである以上業者による「こういった仕上がりになる」といった想定される着地点があり、結果その着地点に近い作品は評価され、そうでないものはあまり評価されないということにつながっているように思われる。

また、既存のキャラクターを模した作品が多い(評価されている)というのにも驚く。

これは技術・家庭科の作品なのかも知れないが、すでにあるキャラクターを上図に作ることに本当に意味があるのだろうか?

趣味としてキャラクターを描くことに何ら異論はないが、教育としてそれを評価の対象とするとなると、単に上手に写し取ることが出来る・出来ないだけが判断の基準になってしまう。 

これからの時代、誰にでも出来る仕事はAIなりロボットが人の代わりになって働くようになる。

既存のモノを上手にまねるなどと言うことはAIの最も得意とすることで、こうした横並び、既存の物まねをクリエイティブだと教えていては本当に学校教育の中での美術教育、技術家庭教育は意味をなさなくなるのではないか?

もちろん物まねがすべて悪いわけではない。が、まねるにしてもその対象は受け取る人がそれぞれの感性で様々な受け止めが出来るものを対象とすべきだろう。 似ているか似ていないかだけが評価の対象ではないものは世の中にいくらでもあるはずである。

 

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その足で上野に行くと東京藝術大学で「東京都特別支援学校アートプロジェクト展」が開催されていたので観覧。

多くの学校から選ばれた作品なので全く系統の違うテーマということもあり、純粋に一つ一つの作品をじっくり鑑賞できた。

感心するのはとにかく個性にあふれているということ。 「個性」を「自分はこれが作りたい」と言い換えてもいい。

どのようなテーマ、導入で作品を作り出したかはわからないが、10人同じテーマで作品づくりをしてもひとつとして同じような作品は出来ないだろうと感じさせられる。  作者の思いが作品に凝縮されているという印象を持った。

特別支援学級の実際はよく知らないが、恐らく少人数で作品づくりをしているのではないかとおもう。

また、目的を持った完成というよりは個々の作者が納得するまで作品づくりをしているのだろう。

一般の学校でも、過密なカリキュラムで様々な作品を作らせ評価することはやめ、生徒ひとりひとりが納得のいくまで自分の世界を作り上げられる時間としてものづくり出来るならばもっと子供たちの創造性を高めることが出来るのではないかと感じられた。

 

 

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