2020/01/15

美術教育のこと

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以前アトリエに在席していたK君の作品が出品されているとのことで、練馬区立美術館に「練馬区中学校生徒作品展」を観に行った。

練馬区にある各中学校の美術、家庭科、技術科の優秀作品が並ぶ作品展なので、出来た作品はどれも作った生徒の熱が伝わってくる。 大人でもここまで出来るものではないだろうという作品も多く見受けられた。

しかし、今回に限らず全体を見回して感じるのは課題の「横並び感」だ。

絵画作品はともかく、教材屋さんが作るキットをつかった課題は学校を横断して同じような完成品が並ぶ。

もちろんキットではあるがそれを完成させるのは個々の子供たちなのだから善し悪しはあるだろう。しかし、キットである以上業者による「こういった仕上がりになる」といった想定される着地点があり、結果その着地点に近い作品は評価され、そうでないものはあまり評価されないということにつながっているように思われる。

また、既存のキャラクターを模した作品が多い(評価されている)というのにも驚く。

これは技術・家庭科の作品なのかも知れないが、すでにあるキャラクターを上図に作ることに本当に意味があるのだろうか?

趣味としてキャラクターを描くことに何ら異論はないが、教育としてそれを評価の対象とするとなると、単に上手に写し取ることが出来る・出来ないだけが判断の基準になってしまう。 

これからの時代、誰にでも出来る仕事はAIなりロボットが人の代わりになって働くようになる。

既存のモノを上手にまねるなどと言うことはAIの最も得意とすることで、こうした横並び、既存の物まねをクリエイティブだと教えていては本当に学校教育の中での美術教育、技術家庭教育は意味をなさなくなるのではないか?

もちろん物まねがすべて悪いわけではない。が、まねるにしてもその対象は受け取る人がそれぞれの感性で様々な受け止めが出来るものを対象とすべきだろう。 似ているか似ていないかだけが評価の対象ではないものは世の中にいくらでもあるはずである。

 

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その足で上野に行くと東京藝術大学で「東京都特別支援学校アートプロジェクト展」が開催されていたので観覧。

多くの学校から選ばれた作品なので全く系統の違うテーマということもあり、純粋に一つ一つの作品をじっくり鑑賞できた。

感心するのはとにかく個性にあふれているということ。 「個性」を「自分はこれが作りたい」と言い換えてもいい。

どのようなテーマ、導入で作品を作り出したかはわからないが、10人同じテーマで作品づくりをしてもひとつとして同じような作品は出来ないだろうと感じさせられる。  作者の思いが作品に凝縮されているという印象を持った。

特別支援学級の実際はよく知らないが、恐らく少人数で作品づくりをしているのではないかとおもう。

また、目的を持った完成というよりは個々の作者が納得するまで作品づくりをしているのだろう。

一般の学校でも、過密なカリキュラムで様々な作品を作らせ評価することはやめ、生徒ひとりひとりが納得のいくまで自分の世界を作り上げられる時間としてものづくり出来るならばもっと子供たちの創造性を高めることが出来るのではないかと感じられた。

 

 

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2019/11/27

東京国立博物館 

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最終日直前の土曜日にトーハクへ正倉院の世界展を観に行く。

大変な混雑と聞いていたので、それなりに覚悟して行くも、一方で雨交じりの天気だから大丈夫かもとの期待も。

土曜は夜九時までの開館なので、午後四時近くに到着。 券売機付近に行列が見えぎょっとするが、待ち時間30分ほどとのこと。ひどいときには7ー80分待ちもあったようなので、我慢の範囲内。

それなりに並んではいるものの意外に回転はいいようで、20分ほどで開場に入ることができた。

 

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正倉院展は毎年奈良で開催されているが、東京での開催は令和天皇即位記念の特別展示。

目玉は世界にひとつしかないといわれる螺鈿紫檀五絃琵琶だが、残念ながら後期展示ではレプリカのみの出展。が、代わりに4弦の紫檀木画槽琵琶 が出展。(写真は螺鈿紫檀五絃琵琶、螺鈿紫檀阮咸のレプリカ)


写真でも見たことのない初見の琵琶。 派手さはないが、細工は螺鈿紫檀五絃琵琶に劣らず緻密で精巧、宝物の名にふさわしい出来で感動した。

また、布地類の出品も多く、臈纈染めや夾纈染めによる素朴な雰囲気の図柄は奈良時代のおおらかさが感じられた。

正倉院展といいつつ実は法隆寺献納宝物など東京国立博物館で見られる作品も多い。

全体的には作品はそれほど多くない印象。 混んではいるものの二重三重に人が囲んでいるというわけでもないので、しばらく待てば観たい作品の前に立てるので、それほどストレスは感じなかった。 

が、先日購入した単眼鏡が威力を発揮した。

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二時間半ほどかけて正倉院展を見終わった後、東洋館で開催中の「人・神・自然」展を観る。

常設展の一環としての特別展示。  カタールの王族アール・サーニ氏の個人コレクションとのこと。

人間が自分たちをどのように見てきたか。 現代の様に科学万能出ない時代、自分たちが経験する様々なこと…人が生まれること死ぬこと、死んだらどうなるのかということ、災害や思わぬ恵みは何を意味するのか。

理解出来ない事象や現象を神に結びつけ畏敬の念を持ってかかわってきた人々の想像力が作り出した素晴らしい作品群。

現代ではあらゆる事象や現象は科学的に証明されたり理由づけされるため、神を感じる頻度は過去に比べ各段に低くなっているが、大きな災害があるたびに「自然にはかなわない」と改めて気づかされる。 人間がすべてを認識しコントロールすることなど絶対に出来ない。  神を信じろとは言わないが、少なくともおごれる人間はもう少し「人間の及ばない何ものか」にたいしてもっと真摯であるべきだと、ふと考えさせられる展示だった。

四段だが、金の存在感とはすごいものだ。 他のどのような素材も劣化したり退色したり経年の変化は免れないが、金だけはその輝きを数千年変わることなく保ちつづける。 確かにこの金属に魅せられ、資産としての価値を持ち続けるというのも実感できる。 

 

 

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2019/11/16

仙人に会いに行く  弾丸京都・奈良  その2.5 夜ノ寧楽

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帰りのバスは奈良駅午後10時45分発ということで、夜の東大寺散策を企てた。

和辻哲郎の古寺巡禮の21章「〜月夜の東大寺南大門――当初の東大寺伽藍――月明の三月堂――N君の話」にあるような昼とはちがう夜の幽玄な雰囲気を体感したいという思いが以前からあったからだ。

まだ午後八時過ぎだというのに人はほとんどいない。 街路灯はあるものの道の奥は暗く、闇に引き込まれる錯覚に陥る。

時折聞こえる鹿のキーンという鳴き声が響く。

南大門に近づく。

月明かりがないため、常夜灯が届くところまでしか門の姿は見えず、あとは闇に溶けるようだ。

もちろん仁王像もおぼろげながらにしか見えない。

が、その大きさ、偉容はむしろ昼よりも強く感られる。

 

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門をくぐり正面の大仏殿を観るも全くの漆黒の世界。

しかたがないので、少し手前の二月堂の塚から坂道を上り、和辻絶賛の三月堂へ向かう。
写真ではフラッシュを適度に焚きながら撮影しているため建物がかなりはっきり見えるが実際はかなり暗い。
ぽつりぽつりと投光器のようなものがあるのだが、反射する壁がないため、光だけがはっきり見えるといった状態。

ここで不思議なことが起こった。

しばらく、坂を登ると投光器が三つ左手に光っている場所に来た。

こんな暗い場所に来ているのだと、家人に携帯電話の写メを送ろうとその光を撮ろうとしたとき…。

携帯電話のモニターに今撮ろうとしている光が映しだされている。

が、それとは別にちいさな光がふわふわと画面上を動いているではないか。

目をモニターから実際の風景に移してもその動く光はない。

もう一度モニターをみると光はいまだ動いている。

シャッターを切ると、その光は写真に確実に写っているのだ。

私の携帯ストラップは金属パーツがついているのでそこに光が乱反射しているのではないかと、ストラップをしっかり持って撮影し直しても同じ結果…。

目には見えないが携帯電話のカメラを通すと見える光。

本物の仙人に出会っていたのかもしれない。

怖いとかそういう感じはしないが、何となく「この先には来るな」と言われている気がしたので、携帯で撮った二枚の写真はそこで削除して東大寺をあとにした。

 

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道に鹿が飛び出した衝突事故が起こると聞くが、帰り道何度か遠くで急ブレーキをかける音がした。

自分が観ている前でも突然道路に飛び出す鹿がいた。 

まさか右左を確認するわけもないので、自動車は鹿が出るものだとおもって慎重に走るしかないだろう。

 

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まだ人気を感じる興福寺は建物のライティングがなされ、人工的ではあるが、夜らしい美しい姿を見せてくれた。

バスの集合時間30分前に奈良駅へ向かい充実した仙人に出会う旅を終えた。

追記
家に戻ってはじめて沖縄首里城火災のニュースを知った。

戦争中も木と紙と土でできた国・日本は焼夷弾によって大きな被害を受けた。
千数百年人から人へ伝世してきた国の宝もそのほとんどは木と紙と土でできている。
天災や人災、戦火によってこれまでに数多の宝が失われたことだろう。

現代の知恵をただ今生きている我々に向けるだけでなく、残された国の宝をしっかりと守り、未来につなげていくということにつかわれることを願ってやまない。

現代の科学の粋を極めても過去の文化を凌駕できない領域というのは確実にある。
そうした宝は守ることでしか未来に残すことはできないのだから。

今回限られた数ではあるが至高の宝を観た感動を是非未来の人々にも味わえるようにと切に思った。

 

 

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